正直者が馬鹿を見る日本社会
2006年 10月 31日
高校の必修科目未履修問題にとても腹が立っています。今、この未履修校の生徒に対する救済策をいろいろ練っているところらしいのですが、受験において弱者となるのは、当たり前のことをきちんと行っていた必修科目をきちんと履修している生徒たちです。
単純に考えて、受験に必要な科目を重点的に勉強できる必修科目未履修校の生徒のほうが、受験においては成績がよいというのは当然のことです。だからといって未履修校の生徒が悪いわけではないので何とも言えませんが、受験という(一見)公正な土俵で今は広くなった「狭き門」をめぐる競争を行うわけですから、未履修校の生徒に対する救済策なんか必要なく、補習でも何でもやって、規則通りの単位を修得して受験に臨んでほしいと思います。
ちなみに、朝日新聞を見ると、必修科目未履修校は、東京・神奈川にはほとんどなく、もっぱら地方の高校が多いことがわかります。首都圏の中高一貫校と進学実績で争える理由の一つがわかったような気がします。
ライブドアや村上ファンドなどが一時期持ち上げられ、汗水垂らして普通の生活を送るのが馬鹿らしい風潮が少なからずありました。このような昨今の出来事を見ていると、結果や効率のみが重視されすぎて、結果に出ない努力や経験がないがしろにされているような気がしてきます。
これを突き詰めていくと、学校内では勉強またはスポーツができる生徒が優秀で、性格がよいだけとか努力は真面目にしているが結果が伴わないといった生徒には烙印が押され、居場所がなくなってしまいます。児童・生徒の自殺報道もここのところ多いので、このような風潮と何だか関係があるように思えてきてしまいます。
今回の必修科目未履修事件を見ると、結果や効率のみを追求するということを、教育界が率先して行っていたことがわかります。「教育」って何だろうと考えてしまいますが、考えるだけ無駄だと思ってしまうぐらい教育界は腐っているんじゃないかと思います。きとんと決められた必修科目の履修というルールを守らず、受験結果だけを追い求めた末の今回の出来事は、ばれなければ手段はいとわないといったライブドア事件につながるように思います。馬鹿正直に必修科目を履修している学校の生徒たちを蹴落としてやれといったことを率先して子供たちに教えているわけです。そんな日本に未来なんてあるわけないじゃないですかと思ってしまいますが、ずる賢く生きることを間接的にでも教えて、世界的な競争力を養成していたりするのかもしれません。
先頭に立って生徒をいじめる先生、教え子またはそれと同じぐらいの異性の子供に手を出す先生、新しいことをしようとせず、生徒のためを思って新しいことに挑戦しようとする先生をつぶす先生、いじめを絶対に認めようとしない校長・教育委員会など、日本の教育って本当に素晴らしいなと思ってしまいます。きっと、僕では考えつかない深い考えがあるのでしょう。
単純に考えて、受験に必要な科目を重点的に勉強できる必修科目未履修校の生徒のほうが、受験においては成績がよいというのは当然のことです。だからといって未履修校の生徒が悪いわけではないので何とも言えませんが、受験という(一見)公正な土俵で今は広くなった「狭き門」をめぐる競争を行うわけですから、未履修校の生徒に対する救済策なんか必要なく、補習でも何でもやって、規則通りの単位を修得して受験に臨んでほしいと思います。
ちなみに、朝日新聞を見ると、必修科目未履修校は、東京・神奈川にはほとんどなく、もっぱら地方の高校が多いことがわかります。首都圏の中高一貫校と進学実績で争える理由の一つがわかったような気がします。
ライブドアや村上ファンドなどが一時期持ち上げられ、汗水垂らして普通の生活を送るのが馬鹿らしい風潮が少なからずありました。このような昨今の出来事を見ていると、結果や効率のみが重視されすぎて、結果に出ない努力や経験がないがしろにされているような気がしてきます。
これを突き詰めていくと、学校内では勉強またはスポーツができる生徒が優秀で、性格がよいだけとか努力は真面目にしているが結果が伴わないといった生徒には烙印が押され、居場所がなくなってしまいます。児童・生徒の自殺報道もここのところ多いので、このような風潮と何だか関係があるように思えてきてしまいます。
今回の必修科目未履修事件を見ると、結果や効率のみを追求するということを、教育界が率先して行っていたことがわかります。「教育」って何だろうと考えてしまいますが、考えるだけ無駄だと思ってしまうぐらい教育界は腐っているんじゃないかと思います。きとんと決められた必修科目の履修というルールを守らず、受験結果だけを追い求めた末の今回の出来事は、ばれなければ手段はいとわないといったライブドア事件につながるように思います。馬鹿正直に必修科目を履修している学校の生徒たちを蹴落としてやれといったことを率先して子供たちに教えているわけです。そんな日本に未来なんてあるわけないじゃないですかと思ってしまいますが、ずる賢く生きることを間接的にでも教えて、世界的な競争力を養成していたりするのかもしれません。
先頭に立って生徒をいじめる先生、教え子またはそれと同じぐらいの異性の子供に手を出す先生、新しいことをしようとせず、生徒のためを思って新しいことに挑戦しようとする先生をつぶす先生、いじめを絶対に認めようとしない校長・教育委員会など、日本の教育って本当に素晴らしいなと思ってしまいます。きっと、僕では考えつかない深い考えがあるのでしょう。
by nemo2000jp
| 2006-10-31 05:00
| 真面目もの