知的なことをしなくちゃと思うのですが、怠け者でして…。


by nemo2000jp
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感動をありがとう!!(笑)

日テレの24時間テレビは、小さい頃は大嫌いでした。なぜかいつも旅行先で
テレビを付けるとやっていて、部屋のテレビをこれ見たさに母が占拠し、僕
は見たいプロ野球をいつも我慢していたような記憶しかありません。

そして月日は経ち、僕も立派な24時間テレビ大好き人間になりました。
何かしながらテレビを流しているのですが、先ほど、水頭症の妹に対し、兄
が「○○ちゃん(妹の名前)大好きだよ」という歌を嵐の一人と一緒に歌を
歌うという場面がありました。そしてそれが終わった後に久本が、「感動を
ありがとう」と言ったのです。僕はこの言葉の薄っぺらさに涙しました。

こういう作られた感動というのにはへどが出ます。もちろん子供(兄)のほ
うは純粋な気持ちから行っていることなのですが、これをわざわざテレビで
流して「感動を─」なんて、何か腑に落ちないところがありました。何だか
言葉に表しにくいのですが、こんな日常の一コマをわざわざ取り上げて、大
げさに煽らなくてもいいのではないかと思ってしまいました。


そしてもう一つ。障害者とか難病の人とかがそれに立ち向かっている姿を取
り上げて、「勇気をもらいました」とか「命の大切さを改めて感じました」
などと高みの見物をしているような人たちのコメントにも憤りを感じていま
す。これもとても言葉では言い表しにくいのですが、超ぶさいくな人の顔を
見て、「勇気をもらいました」と言っているようなレベルだと思ってしまい
ました。

この24時間テレビのはじめのほうでやっていた、生まれながらにして両腕が
ない9歳の子供が100mを足をつかないで泳ぎ切るというのにはとても感動させ
られたのですが、この子供は、小さいときは「腕は生えてこないの?」みたい
なことを母親に言っていたのだそうですが、今となっては、腕がないのはそん
なに気にならないというようなことを言っていました。
障害を持った人がこのようなチャレンジをすることはとてもメッセージ性が
あるのでよいとは思うのですが、先ほど書いた障害に立ち向かう人や難病と
闘っている人というのは、それが日常であるので、わざわざ公共の電波を使っ
て「勇気をもらいました」と言ってしまうのは、そういった人たちを自分と
は全く違うもの、違う世界のこととして捉えているように感じて、僕には不愉
快です。
実際、身内でリハビリに励んでいる人に対して、「勇気をもらうことができ
た」などとは言わないと思います。もちろんこう思うことに対しては、とても
いいことであるとは思うのですが、これを口に出してしまうところに人間性の
低さ、その人間の薄っぺらさみたいなものを感じてしまいます。

今書いた二つの点に関しては、やはりよく言われる「障害者や難病の人を道具
にしている」というのに当てはまってしまうかなと思います。
先ほども書いた障害者が何かにチャレンジするというのは日常を超えたもので
あるのでいいかなと思うのですが、日常を捉えて「感動した」はさすがに失礼
かという気がします。でも、だからといって、難病の人たちを何も紹介するこ
とがなくなると、そういう病気で苦しんでいる人がいるということを全く知ら
ないまま過ごすことになり、そういった人たちに思いを馳せるということがな
くなってしまって、これもまたよくないことかなとも思います。

長文になってしまい、何が言いたいのかわからなくなってきてしまいますが、
障害者や難病の人たちを特別視するのではなく、健常者と同じ人間であり、
乗り越えなくてはいけない壁は人それぞれで、その「それぞれ」を紹介する
分には、相手の気持ちを理解する意味で必要かとも思いますが、だからといっ
てそれに「感動をありがとう」はまた違うのではないかということを言いた
かっただけで、こんな文章になってしまいました。
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by nemo2000jp | 2008-08-31 18:34 | 真面目もの