知的なことをしなくちゃと思うのですが、怠け者でして…。


by nemo2000jp
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カテゴリ:真面目もの( 30 )

もうこの話は…

先日の記事の続きです。向こうの記事にコメントが付いていて、そのコメントをした人が僕の意見のことについて書かれており、向こうのブログでコメントするわけにはいかないのでこちらでコメントを書いてみます。

↓コメントはこんな感じです。
TBのブログも読まさせてもらいました。。
価値観の違いでしょうか・・・(こういう場合価値観っていわないのかな?)
もっと自由な考え方のほうが楽だとおもうのですけどね。
追求したくなる性格の人は黙っていられないんでしょうけど・・・
私は優柔不断と言いましょうか・・・楽な生き方してるし・・・
動物と一緒に生活出来るって幸せだと私は思います♪
─以上

これは価値観の違い以外の何ものでもないと思っていて、だからこのような不毛な話はもうあまりしたくないなと思います。「もっと自由な考え方のほうが楽だとおもう」という部分が全く意味がわからず、一般に愛されるべきものだとされているものを、それは嫌いと自由な考えで言っているだけで、本当は好きなのに嫌いだと頑なになっているわけでもありません。「動物と一緒に生活出来るって幸せだと私は思います♪」という部分も合わせて、ご自分の優位性を語りたいだけだとは思いますが、僕は現時点でペットの存在を必要としていないので、幸せでよかったですねとしか言えないです。
「自由な考え」というところでふと思ったのが、僕は今は自分の生活空間に入ってくるペットは必要としませんが、家族が急にペットをほしがってそのような生活にならざるを得なくなったりしたら、はじめは嫌だとしてもそのうち情が移ってくるのではないかと思いました。こればかりはそのようになってみないとわからないので何とも言えないことなんですけどね。

小さい頃には、ペットとはまた違いますが、ザリガニ・金魚・どじょう・カブトムシを飼っていました。これらの動物に何を求めていたのかはわかりませんが、一生懸命に面倒は見ていました。ただ、カブトムシがさなぎになったときに、腐葉土が丸っこくなっていくのを見て、特に何もしなかったら、そのままさなぎが全滅してしまいました。あとから知ったことなのですが、土が丸っこくなっていったのは、さなぎの糞だったようで、それを新しい腐葉土と変えなければいけなかったようです。犬や猫とカブトムシを一緒にするなと言われてしまいそうですが、同じ生き物ということで書いてみました。
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by nemo2000jp | 2005-05-28 00:11 | 真面目もの
エキサイトブログトップの「うちのコ、こんなにお茶目です♪」というトラックバックテーマに関して書いた先日の記事にトラックバックがつき、「私は猫好きです!」という意見をxuehuさんからいただきました。この意見に対してまともに答えてしまうと、自分がどれだけ冷たい人間かをさらけ出すだけなので気が向かないのですが、せっかくいただいた意見なので話を膨らませてみようと思います。

自分の子供やペットをかわいいでしょうと他人に対して発信するのは、xuehuさんも言われているように、「本人には本当に大きい意味を持っているからだと」僕も思います。しかし僕はそれを押し売りと捉え、その行為が無神経すぎると思ってしまいます。それは、ペットや子供というのはその人の家族(ペットも家族の一員とよく言われます)であり、その家族をかわいいかと聞かれたら、付き合い上決して否定する意見は出せないからです。それが野球に関してとか車に関してだったら、そんなの興味がないと言えばいいことなのですが、ペットや子供というその人の家族に対して興味がないとは当然言えるはずもなく、しかもペットや子供というのは世間に温かい目で見られるということが前提条件としてあり、それを否定するのは人間としておかしいというか冷たい人という目で見られてしまうこともあり、肯定されるのが当然として自分のペットや子供自慢をするというその心理がすごく嫌なんです。それが高じてくると、自分の子供は○○大学に入ったとか、うちのペットは待てができるなどというどうでもいいような話をこちらは全て肯定して聞かなくてはいけなくなり、うんざりすることがあります。こういったペットや子供のあつかましい話を聞くことがあって、「うちのコ、こんなにお茶目です♪」というトラックバックテーマにトラックバックしたのですが、このテーマが肯定派の人しか参加できないものであれば、僕の先日の投稿は間違いであったと言わざるを得ません。

>友だちが赤ちゃんを見せてくれたけど、私は不細工だと思う。かわいいと
>言えない。といったとき私は、『お父さんに似てる』とか『肌つるつる』とか
>『爪、こんなに小さい!かわいい!』と本気で言えることを見つけて言います
これは、僕も会話の主導権を相手に持たせてしまうように話して何とかしのぐようにしています。どちらに似てるのかとか、その答えによっては、やっぱり目のところがお父さんにそっくりだよねとか話して、向こうから話してくれるように仕向けます。このような話に関しては、韓国も日本も変わらないものだと思います。


ところで、本題からそれてしまう恐れからあえて触れなかった話題があります。それが、家族自慢の最たるものとしての年賀状の赤ちゃん写真です。これはよく聞く話だと思いますが、子供がほしいと思っても恵まれない夫婦や、子供を小さくして亡くしてしまった家族に対して、うちの子供はこんなに元気ですとでもいうような年賀状を送るという無神経なことができるでしょうか。また、ペットを亡くしてしまった人に対しても同様なことができるでしょうか。
今回はブログ上での話であるのに何で年賀状と思われるかもしれませんが、僕が先日の記事にも書いたように、ブログの新規開拓をしていると必ずといっていいほど家族自慢のブログに当たってしまうことが多く、不特定多数の人に向けて発信するにはあまりに貧困なテーマだと思ったので記事にしました。家族自慢をしている人の知り合いであればそれを肯定することができますが、見ず知らずの人(ブログでの交流もない人)の家族自慢をされても本当に困ります。
家族は自分が守り育てていくものであり、家族に対する愛情もその中で消化されるべきものを、それをわざわざ他人にひけらかしてまでしてかわいいなどといった肯定をしてもらって、その他人の愛情まで受けようとする人たちのことが僕にはわかりません。

【追伸】
長々と書きましたが、結局言いたいことは最後の4行だけです。
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by nemo2000jp | 2005-05-27 01:53 | 真面目もの

法を習ったのに…

「ウオークラリーに車 高校生3人死亡」という事故について書きたいことがあります。たぶんどのサイト・ブログでも言い尽くされていることを書くだけだとは思いますが、書かずにはいられません。
この事故を起こした容疑者は、お酒を飲むのがわかっていて車でお店まで行っているし、日本では必要のないカンガルー避けがついた殺傷能力の高いRV車に乗っている時点で、人を殺す気がありありと見えます。これは未必の故意ともいうべきもので、危険運転致死傷罪なんて甘いことは言わず、殺人罪になるのではないかと思ってしまいますが、現行法下ではいかんともしがたいものであるのでこれは置いておきます。
しかし、包丁を持って3人もの人を殺したら殺人罪が適用になり、おそらく死刑という罰が下されます。お酒を飲んで車を運転したらどうなるかぐらいは車を運転している人にはわかります。包丁よりも車のほうが殺傷能力は高いと思われます。それなのに、この事故の容疑者には最高20年(併合加重の場合は最高30年)の懲役しか科せられません。例えが非常に悪くて申し訳ないのですが、人を殺そうと思ったら、酔って車に乗って人を轢いて、酔っていたからわかりませんと殺意を否定すれば、死刑にもならずに何十人という人を殺せることになります。こんなわけのわからないことがあるでしょうか。
遺族は、直接的な敵討ちというものを国に禁止され、容疑者への罰は裁判に委ねざるを得ません。一人一人の命の重さは変わらないのに、その殺され方によって容疑者への罰が変わってきます。今回の場合もそう(殺人罪と危険運転致死傷罪)ですし、睡眠時無呼吸症候群で事故を起こしても、心神喪失者がどのような犯罪を犯しても無罪になります。
尼崎の電車脱線事故でもそうですが、被害者や遺族にとっては殺されたという事実は変わらないのに、それが事件なのか事故なのか、または容疑者の精神状態などによってその量刑が無罪から死刑まであるという現状に納得できないでいます。だからと言って、「目には目を」的な罰は行き過ぎではないかと思う自分もいて、考えがまとまりません。
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by nemo2000jp | 2005-05-26 02:25 | 真面目もの

尼崎・列車脱線事故から

尼崎・列車脱線事故があり、このブログで触れるものかどうかこの一週間考えていました。あえてここで触れなくてもテレビや新聞などが取り上げてくれるので、それでいいかなと思います。でも思うのが、この事故だけではなく全ての事故は一瞬の出来事で、戻れるものならばその事故があった数秒前に戻りたいと思うものばかりです─今回の事故のように、乗り物に乗っていたりして注意しようがない場合もありますが─。その事故の瞬間だけでなくそれ以前にも事故につながる要因があって、それが積み重なって悲劇が起こります。事故という大きいものだけではなく、日常においても人間関係であったり仕事であったり、事故とは言いませんが取り返しのつかない失敗をしてしまうことがあります。失敗をする前に、その悪い状況を作り出す要因を一つずつ潰していくようにしなければと思いました。
最後になりましたが、この事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
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by nemo2000jp | 2005-05-01 01:36 | 真面目もの
「今が楽しければ」将来に希望抱く高校生は24%という読売新聞の記事とそれを受けての読売新聞の社説を見ました。
調査結果を見て分析はされているようですが、一体その対策はどのようにしたらいいのでしょうか。どのようにすれば学校以外で勉強するのか、どのようにしたら国旗・国歌を誇らしいと思えるのかがわかりません。国旗・国歌に関しては僕も「何も感じない」というほうなので、本当にどうしたらよいのかわかりません。記事中に書いてある教育評論家の方が言うように、ボランティアをすればいいのでしょうか?

「今が楽しければ」つながりかどうかわかりませんが、上述の記事の同日付のニュースに、朝日新聞に「中3男女を殺人未遂容疑で逮捕、交際めぐり父と確執」という記事があり、この中で、「男子生徒は16日に県立高校を受験する予定だった。女子生徒は就職を希望していたが、就職先はまだ決まっていなかった。2人とも成績は普通で、特に目立った非行などはなかった」と書いてあります。また、読売新聞の「中3カップル、少女の父を殺害未遂…交際でもめる」という記事には、「2人は同じ中学校に通っており、男子生徒は父親から、女子生徒を妊娠、中絶させた責任を取れなどと迫られていた」、「学校側によると、2人は昨年冬ごろから家出を繰り返すようになり、今月11日の卒業式も欠席した」と書いてあります。
状況がよくわからないので何とも言えませんが、殺人未遂を犯した二人は何でこんなに視野が狭いのかと思います。これも先ほど紹介した読売新聞の記事の中で、教育評論家の方が、「今の高校生たちは学校や社会に居場所が見いだせず、自尊感情も薄いまま、身近で小さな世界に閉じこもっている。極めて深刻な状況だ」と指摘しています。殺人未遂事件の容疑者は中学生ですが、この教育評論家の人の指摘通りだと思います。でも、どうしたらこのようなことがなくなるのでしょうか。

朝日新聞のホームページが僕にとっては見にくくリニューアルされてしまったので読売新聞の記事のほうの紹介をしますが、マラッカ海峡海賊事件の社説を読んでも、どう解決するのだろうと考えてしまいます。社説の中に「今後も、通過する船は十分な警戒が必要だ」と書かれているのですが、警戒していてもこんなに強力な武力の前には、一般人は太刀打ちできません。社説の最後は「各国は国内法などの整備を急ぐべきだ。海賊対策の徹底へ国際協力を強化しなければならない」と結ばれていますが、本当に早く対策を立ててほしいと思います。昨年11月にアジア海賊対策地域協力協定というものをASEAN加盟国や日本・中国・韓国などが採択したそうですが、この協定を採択して安心してしまっているのでしょうか。この協定は、小泉首相が2001年に提唱したものだそうです。

自分の周りで、評論家のように現状分析や評価をしその対策については語らないという人が多いので、こんな愚痴のような記事になってしまいました。「勉強する」ということでは、塾に来る多数の生徒は目的があってのことなので楽なのですが、特に公立中学校ともなると難しいなと思います。また、「君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで」という歌詞と暗い曲調の国歌に誇りを持たせるのも難しいと思ってしまいます。国旗に関しても、日中戦争・太平洋戦争のイメージしか僕にはなく、いいイメージは全く持っていません。僕は、国旗・国歌の成立についても全く知らない不勉強者です。みなさんは国旗・国歌の成り立ちを知っているのでしょうか。

結びのない記事になってしまってすみません。僕自身も対策を立ててそれを実行するということができないので、その苛立ちをただぶつけたような感じになってしまいました。塾に来ている生徒に将来に対する目的意識を持たせるということなどは個人レベルでもできると思うので、自分でできることから実行していこうと思います。
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by nemo2000jp | 2005-03-16 04:03 | 真面目もの
先日書いた記事の続きです。この事故の状況がわからないので何とも言えないのですが、ちょっと書いてみます。
この事故は公園で起こったものです。小4の男児二人がキャッチボールをしていて、そのボールがそれて小5の男児の胸付近にあたり、ボールが当たった衝撃で小5の男児が「心臓震盪(しんとう)」に陥って亡くなったというものです。
仙台地裁の判決では、キャッチボールの球が当たれば「死亡予見も可能」とまで断じています。仙台地裁の言い分に従えば、これは公園で遊んでいる全員にも言えることで、球が当たったら死んでしまうと思ったら、キャッチボールをしている人たちのそばにいようとは思いません。そこに居続けたということや公園でそのような危険な遊びを許可した公園管理者の責任も問われるのではと考えてしまいます。

危険を回避するということで、箱ブランコ・回転ブランコ・回転扉での事故のことを思い出しました。箱・回転ブランコの事故は、遊具の老朽化が原因ということもありましたが、その遊び方が問題だったりする場合もありました。回転扉は設計通りにセンサーが働かなかったことが原因だったりました。
公園の遊具は気を付けないと事故を起こすものばかりです。ジャングルジムやすべり台から落ちたというのは僕の子供の頃によく聞いた話で、だからといってそれを設置した人に対して文句を言うということはありませんでした。僕自身も普通のブランコに立ち乗りして、足がすべって落ちて、反動がついたブランコが後頭部に直撃したということもありました。危ないと思ったらその遊具で遊ばなくてもいいし、危ないけど楽しいからと思ったらそれはもう自己責任ということが僕の子供の頃の暗黙の了解としてあったように思います。
回転扉の件も、普通に考えたら、挟まれそうなのにそこに突っ込んでいくほうがどうかと思います。もちろん安全装置を付けているほうが望ましいです。でもそれは最終手段のようなもので、それを作動させないことが一番望ましいことではないかと思います。

子供のけんかで相手を死に至らしめたとか、そういった限度を知らなさ過ぎることが最近多いように思います。危ないと思ったらそれをやめるとか避けるとかができなくなっている(一部の例しか見ていませんが)というのは、どういうことなのでしょうか。これも家庭での教育が疎かになっていることの一例なのでしょうか。
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by nemo2000jp | 2005-02-23 14:48 | 真面目もの
昨日書いたキャッチボール事故を法律面から見てみたいと思います。
まず、不法行為とは、わざと(故意)または不注意(過失)により他人の権利を侵害する行為のことをいいます。そして、その侵害から生じた損害は賠償しなければなりません(民法第709条)。
不法行為が成立する条件は主に次の5つが挙げられます。
1.故意または過失が存在する
2.責任能力がある
3.違法性がある
4.損害が発生した
5.行為と損害の間に因果関係がある
ここで疑問に思うのが「2.責任能力がある」ということだと思いますが、通常は12歳程度の子供でも責任能力は備えていると考えられているそうです。読売新聞2月19日付社説を見ると、被害者の「両親が、男児二人の親を相手取り、損害賠償を求めた」とあるので、被害者側は、加害者(子供たち)には責任能力がない(責任無能力者)ものとし、監督責任がある親(保護者)にその責任を負わせようとしたと考えられます(民法第714条)。
仙台地裁は、「ほぼ満額にあたる6000万円の支払いを命じた」というのは、逸失利益や慰謝料がその金額で妥当としたからだと思います。減額する場合は、被害者の側にも結果の発生について過失があった場合(民法第722条)だそうで、今回は被害者に過失は全くなかったと判断されたということだと思います。

エキサイトブログを見ていたら、この事故についての記事がいろいろ書かれており、何で親が賠償金を払わなくてはいけないのかということなども書かれていたので、学生時代にかじった法律の面から見てみようと思ってこの記事を書いてみました。間違っていることや足りないことがありましたら、後学のためにもぜひ教えてください。
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by nemo2000jp | 2005-02-22 14:34 | 真面目もの

社説いろいろ

昨日の草野球の影響で筋肉痛がすごいです…。
「キャッチボールを安心してできる環境整備を」まめたぬきさんからのトラックバックです。
読売新聞の社説でこのことを取り上げていました。
事件(事故)は、宮城県内の公園で三年前に起きたもので、「小学四年の男児二人がキャッチボールをしていたところ、球がそれ、近くにいた小五の男の子の胸付近にあたった。うずくまる男の子。病院に運ばれたが、間もなく死亡した」というものです。そして、「両親が、男児二人の親を相手取り、損害賠償を求めた。仙台地裁は十七日、請求を認め、ほぼ満額にあたる6000万円の支払いを命じた」そうです。
判決では、「〈キャッチボールの球がそれて他人にあたることは十分に予測できた〉〈軟式ボールでも、あたる部位によっては、負傷したり死亡したりすることもある、ということも予測できたはずだ〉」という言葉も出たそうです。
この件でまめたぬきさんも書かれていますが、僕も書きたいことがあります。でも後日にさせてもらいます。
朝日新聞・読売新聞・毎日新聞・日経新聞のサイトを調べたところ、この件を社説で取り上げたのは、プロ野球チームを持っている読売新聞だけでした。

毎日新聞2月19日付社説では、「マータイさん 緑の力で平和と発展を」として、昨年ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんを今ごろ取り上げています。マータイさんは毎日新聞のサイトのトップにも出てきて、緑の大使:マータイさん来日と題して記事が載っています。これを見ると、マータイさんは毎日新聞の招きで来日しており、月刊ソトコト編集部主催・毎日新聞社共催で2月20日に開かれた「ソトコトNPOサミット」というシンポジウムに出席したそうです(関連記事を見たら2月19日のシンポジウムにも出席しているそうです)。
この記事ももちろん、前述した各新聞のサイトでは、毎日新聞だけが取り上げていました。

goo辞書(三省堂提供「大辞林 第二版」)で「社説」を調べたら、「新聞・雑誌などで、その社の主張として載せる論説」と誰でもわかることが書いてありました。読売新聞と毎日新聞のこの主張を見ると、自分の社の利益に結び付けていることが明白で、日本の主要新聞の社説としてどうかと思ってしまいました。各新聞は政治的な面でもそれぞれのスタンスがあるのでそれはそれでいいのですが、先述のコラムのようにあからさまに利益関係が見えてしまうと、「社説」が持つ力や意味というものが薄らいでしまうような気がします。
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by nemo2000jp | 2005-02-21 18:36 | 真面目もの

ゲーム脳って?

読売新聞で寝屋川教師殺人事件のことが載っていました。容疑者の少年は、「仮想の街を舞台にナイフや銃でゾンビを倒していくストーリー」のゲームが非常に上手で、「中学進学後ものめり込んでいた」そうです。
臨床心理学の教授が、「幼いころからゲームに没頭するうち、仮想世界と現実を混同したとも考えられる」というコメントをしているのですが、これがゲーム脳ということなのでしょうか?

ゲーム脳についてはたびたびマスメディアで取り上げられ、僕はそのたび過剰反応していますが、実はその実態を知りません。念のためGoogleで調べてみたところ、「携帯メールでも脳が壊れる?」と題してゲーム脳が語られています。この中では、「テレビゲームを頻繁に続けると脳波が著しく低下し、高齢者の痴呆症と同じ波形を示すようになる――という問題」と書いてあります。記事を見ても、「視覚野に入ってきた情報は前頭前野に伝わらず、直接運動野に伝えられるようになる」のがゲーム脳の特徴として書かれ、脳があまり使われないことによって脳の廃用が進んだ状態がゲーム脳なのかなと僕は思いました。こちらのリンク先には、ゲーム脳に関する賛否両論が載っていますので、参考にしてみてください。

このゲーム脳なのですが、本当にゲーム脳というものがあれば、僕は間違いなくゲーム脳です。ゲームばかりしているわけではないのですが、ゲームをする時間は相対的に長いですし、パソコンに向かっている時間も長いです。でも殺人を犯そうなんていう発想は出てきません。このゲーム脳の話に見られるように、容疑者がゲーム好き(特にホラーもの)で引きこもりだからといって、こういったセンセーショナルな言葉を簡単に用い過ぎで、殺人までに至った経緯というものが短絡的に語られすぎていないでしょうか。
読売新聞の記事に戻ると、17歳の容疑者は「1年前から月1・2回、『思春期外来』と呼ばれる心理カウンセリングを受け、周囲には活発になったように見えた」とあります。「思春期外来」がどんなものかはわかりませんが、僕らが思春期の頃はこんな外来に頼らなくても何とかなっていたように思います。本音を言えば、こういった支援をする場所が増えてきている現状を見て、何でこんなに甘えている人たちがいるんだと思ってしまいます─本当に精神的に苦しんでいる人がいると思います。こんなことを書いてしまってすみません─。でも逆に、それだけ今の時代を生きるということが難しくなっているということの表れだとも思います。

朝日新聞では、「ゆとり教育、全面見直しへ」という記事が載っています。各教科の学習内容の低下もそうですが、「総合的な学習の時間」の目標である「生きる力」の低下も問題があるのではないでしょうか。この「生きる力」は学校に任せるのではなくまずは家庭で教育し、その基礎があって学校という集団生活の中で子供たちが勝手に(教師の支援がもちろんありますが)身に付けていくものだと思います。また、子供がいる家庭同士やその近隣住民などによる子供に対するしつけも、もう一度見直すべきだと思います。家庭内での教育や社会全体の子供に対する目というのが今こそ必要なときはないのではないかと思います。
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by nemo2000jp | 2005-02-17 00:03 | 真面目もの

男脳?女脳?

最近、「カルーセル麻紀さん、性別変更認められる」という記事を見て、性同一性障害って何だろうと思い、性同一性障害理解マニュアルというホームページを見てみました。

僕は、性同一性障害というのは後天的なものだと思っていました。育った環境や自分の思い込みでそうなったと思っていたんです。でも、「現在は「胎児期、および生後1才半位までの間での性別獲得の時点で何らかの障害が起こったのであろう」と考えられて」いるそうです。何だかこの病気については、好意的(意味が変かもしれません)に捉えられないんです。どうしても奇異に感じてしまうのは、この病気の人が少ないということはもちろん、マスメディアに出てくる明るいニューハーフなどのイメージがあるからなんでしょうか。
もし友達などが、俺は本当は女なんだといって性転換してしまったら、その友達の苦悩からの解放を正直に祝えるかというと、僕はそこまで人間ができていないので、複雑な心境になると思います。頭では理解しているつもりでも、生理的に受け付けないような気がするのが、この病気の難しいところなのかなと思います。

ところで、この性同一性障害を調べていくうちに、男脳女脳診断というものがあって、そこで自分の脳がどちらの性別に近いのかを診断してみました。その結果は下の写真のようになりました。
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男脳度数55%・女脳度数45%で、中性的な考えができる脳だそうです。中性的な考えができるのはいいことなのではと思ったりもしますが、この結果の文章を借りると、「超」論理的に物事を考えたり、「超」豊かなコミュニケーションをとれるスペシャリストにはなれないんだなあと思ってしまいます。何でも「普通」みたいな感じの自分に嫌気がさしているところでこの結果でしたので、少し考えてしまいました。
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by nemo2000jp | 2004-11-04 01:25 | 真面目もの